1951(昭和26)年のサンフランシスコ講和会議に基づく条約締結により戦後処理を一応終えた日本は、その後、(神武景気)に始まる高度経済成長を遂げ、国民生活も大きく変貌する。本章で扱うのは、1973(昭和48)年のオイルショックまでとされるこの高度成長期の文化である。
この時代の一つの特徴として若者文化の台頭を挙げることができる。もちろん、それまでも若者独自の行動や生活様式はあったが、それが社会の動きとして認知されるようになったのである。それを端的に示すのが、〈太陽族〉の登場であろう。〈太陽族〉とは、1956年に公開された映画「太陽の季節」(石原慎太郎の同名小説が原作)に影響を受け、無軌道で頽廃的な行動を取った若者達である。
この〈太陽族〉の例が示すとおり、この時代のメディアとして、まず大きな影響力を持ったのが、映画であった。19世紀末に日本に移植され、サイレント映画の時代を経て、1930年代に最初の全盛期を迎えた映画産業は、戦争により大きな打撃を受ける。だが、1950年代に入って本格的に復活を遂げ、映画史に名を残す監督、俳優がその才能を開花させるのである。
この時代に国際的評価を受けた日本人映画監督として挙げなければならないのは、やはり黒澤明(1910-98)であろう。
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学習ポイント
1943年に「姿三四郎」で監督デビューした黒澤は、1951年の「羅生門」で、対立する複数の視点から事件を扱う新鮮さなどが評価されて、1951年のヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞する。これは黒澤と日本映画を世界に知らしめるきっかけとなった(主な原作は芥川龍之介の「藪の中」)。主演は黒澤に見出されて名優となった三船敏郎(1920-97)である。続いて1954年にヴェネツィア国際映画祭に出品した「七人の侍」が銀獅子賞を受賞し、「荒野の七人」(アメリカの西部劇)を始め、多くの追随作品を生み出すことになる。黒澤映画は、「地獄の黙示録」のフランシス・コッポラ(Francis Ford Coppola)、「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス(George Walton Lucas Jr)などにも影響を与えている。他にも、「東京物語」の小津安二郎(1903-63)、「雨月物語」の溝口健二(1898-1956)、「浮雲」の成瀬巳喜男(1905-69)など、この時期には世界的評価を得た監督が少なくない。
日本映画の黄金期と言われるこの時代には、スターと呼ぶにふさわしい男優・女優も多く輩出した。その数はあまりに多いが、今も映画ファンの心に残る俳優を挙げるとすれば、男優では三船敏郎と石原裕次郎(1934-87)、女優では原節子(1920-)と吉永小百合(1945-)が筆頭となるだろう。三船敏郎は上でも触れたとおり、黒澤作品に起用され、〈世界のミフネ〉と呼ばれた。また、「太陽の季節」でデビュー、「嵐を呼ぶ男」などで人気を確立した石原裕次郎は、その後、テレビなどでも活躍し、まさに昭和の大スターであった。一方、原節子は小津安二郎と組んだ映画などで高い人気を得ながら、若くして引退し
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たため、伝説の女優と呼ばれている。
1960年代に日活からデビューした吉永小百合は〈サユリスト〉と呼ばれるファンを今も多く持つ、日本を代表する女優である。
もう一つ、この時代の特質として特撮怪獣映画を挙げることができる。1954年の「ゴジラ」のヒットにより人気を集めて多数の作品が制作され、日本映画の一ジャンルを占めるまでに成長した。しかし、1960年代後半になると、テレビの普及により退潮の傾向が見え始める。そして、1990年代に回復の兆しが見えるまで日本映画は退潮を続けることになるのだが、そんな中で根強い人気を保ったのが、松竹の「男はつらいよ」シリーズであった。そそっかしいが人情に厚い〈フーテンの寅〉を主人公にしたこの人情コメディは、1969年から1995年まで48作製作され、国民的人気を博した。
1960年代に入ってラジオ(1925年放送開始)、そして、映画に替わって娯楽の中心を占めるようになったのがテレビである。日本のテレビ放送は1953年に始まるが、受像機が高価で一般にはなかなか普及せず、人々は街頭テレビでプロレスやボクシングに熱中した。しかし、1959年の〈皇太子ご成婚〉の中継をきっかけに普及が進み、東京オリンピックを経てカラーテレビが〈新三種の神器〉と呼ばれるようになる。当時から〈一億総白痴化〉などのテレビ批判があったが、それを余所にテレビは人々の生活に深く浸透していくのである。テレビ番組には様々あるが、ここでは人々に手軽な娯楽を提供したドラマとバラエティーを取り上げておきたい。
ドラマは1953年の放送開始前にNHKが「夕餉前」(1940)を実験放送している。本放送開始後、最初のドラマは「山路の笛」とされる。「夕餉前」は娘の縁談を中心としたホームドラマ、「山路の笛」は農夫の妻になった天女の悲恋を描いたものだという。放送開始当初は録画手段がな
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いため、1958年にVTRが使用されるようになるまで全て生放送であった。この時代のドラマはその内容からホームドラマ、社会派ドラマ、アクションドラマ、青春ドラマ、時代劇に分けられる。
ホームドラマ ホームドラマとは家族をテーマにしたドラマである。この種のドラマは数多く制作されているが、この時代のヒット作として「七人の孫」(1964-66)、「肝っ玉かあさん」(1968-72)、「時間ですよ」(1970-73)を挙げておく。「七人の孫」は国民的なコメディアンであり俳優であった森繁久彌(1913-2009)を祖父とする大家族を描いた作品で、脚本家向田邦子(1929-81)の出世作になった。「肝っ玉かあさん」は明るくしっかり者の母親が父親不在の家族を支えていくドラマである。また、「時間ですよ」は銭湯を舞台にしたコメディドラマで、ストーリーとは関係のないギャグが散りばめられた。平成以降のドラマにも通じる異色作だった。第6作「おはなはん」以来、女性の一代記物というコンセプトを確立したNHKの〈朝の連続テレビ小説〉も、ホームドラマという性格が強い。
社会派ドラマ 当時、すでに文化的価値を認められていた映画や演劇に比べ、テレビドラマは低俗なものと考えられがちであった。それゆえ、テレビドラマは独自の可能性を模索することになる。その一つの方向性が社会派ドラマであった。1958年の芸術祭賞(文化庁主催)を受賞した「私は貝になりたい」は、戦犯の冤罪を扱った作品である。翌年には政界と金融界の癒着を描いた「いろはにほへと」が受賞している。この系譜は弁護士を主人公とし、社会問題をテーマとした「判決」(1962-66)や「白い巨塔」(1967)などに引き継がれた。「白い巨塔」はその後も度々リメイクされ、好評を博している。
アクションドラマ(刑事ドラマ) 21世紀に入っても刑事ドラマは根強い人気を誇り、様々なバリエーションを生み出しているが、この時期の刑事ドラマはアクションを売りにした長寿番組が多い。「特別機動捜査班」(1961-77)は国産初の1時間連続ドラマとしてスタート、15年半にわたって放送され続けた刑事ドラマである(現実の機動捜査
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隊が警察に設置されるきっかけになったとも言われている)。これに続いて警備員たちの活躍を描いた「ザ・ガードマン」(1965-71)、スパイアクション物の「キイハンター」(1968-73)が製作され、70年代に入って刑事ドラマの金字塔とも言われる「太陽にほえろ」(1972-86)が始まる。刑事たちの個性を前面に押し出し、新任刑事の成長に視点を置いた「太陽にほえろ」は若者層に長く支持された。
青春ドラマ 「太陽にほえろ」のプロデューサー岡田晋吉は「太陽にほえろ」を青春ドラマのつもりで作ったと述べているが、この時期には青少年をターゲットとした青春学園シリーズが作られる。その第1作となったのがラグビーを通じて生徒と心を通わせていく青年教師を描いた「これが青春だ」(1965-66)である。このパターンは青春学園シリーズ第7弾「われら青春!」(1974)まで引き継がれた。また、第6弾「飛び出せ!青春」の主題歌「太陽がくれた季節」がミリオンセラーとなるなど、他分野にも影響を与えた。青春物としては、他にスポ根ドラマの先駆けとなった「柔道一直線」(1969-71)、「サインはV」(1969-70)、少女漫画を原作とする「おれは男だ!」(1971-72)などが人気を呼んだ。
時代劇 時代劇とは、江戸時代以前を舞台としたドラマで正義が悪を倒す勧善懲悪ものが多いが、年配層を中心に根強い人気を誇る。テレビドラマとして初めて放送されたのは「半七捕物帳」(1953)とされている。〈偉大なるマンネリ〉と言われるナショナル劇場(現パナソニックドラマシアター)の「水戸黄門」の放送開始は1969年で、2010年2月現在、第41部の放映中である。〈大河ドラマ〉(NHKの時代劇シリーズ)は、第2作の「赤穂浪士」(1964)で国民的な人気を得て以来、複数作に多少の浮き沈みはあるものの、日曜夜に欠かせないテレビ番組となっている。
バラエティー この時代のバラエティー番組を語る時、まず挙げなければならないのは「おとなの漫画」(1959-64)、「シャボン玉ホリデー」(1961-72)で人気を得たコミック・バンド、クレージーキャッツである。彼らは映画・音楽の世界でも活躍した。このコミックバンド人気を引き継いだのがザ・ドリフターズである。彼らの「8時だよ!
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全員集合」(1969-85)は、その驚異的な視聴率により怪物番組と呼ばれた。また、今も継続中の「笑点」(1969-)、落語家による演芸バラエティーが始まったのもこの時代である。
この時代の歌謡曲は、その起点を〈紅白歌合戦〉に置くと、わかりやすい。〈紅白歌合戦〉の前身は1945年大晦日にラジオ放送された〈紅白音楽試合〉で、企画段階では〈紅白歌合戦〉という名称だったが、GHQから〈合戦〉にクレームがつき、〈試合〉に変更される。現行の〈紅白歌合戦〉が始まったのは1951年。1953年からはテレビ放送が開始された。視聴率は調査が開始された第13回(1962)から36回(1985)まで軒並み60%超を記録し、特に14回は81.4%であった。広義の歌謡曲を一言で言うなら、歌詞を伴う大衆音楽であるが、この時代の〈紅白〉はまさに大衆音楽を代表していたということができる。
演歌 日本的な人情や男女の恋模様を小節を利かせて歌う歌謡曲という意味で演歌という言葉が使われるようになったのは意外に新しく、1960年代後半からである。演歌を代表する美空ひばりの活躍は「悲しき口笛」(1949)の主演、そして、主題歌のヒットに始まっている。その後美空ひばりは「リンゴ追分」(1952)、「柔」(1964)、「悲しい酒」(1966)などを大ヒットさせ、〈歌謡界の女王〉と称された。高度経済成長が始まり、農村から都会に出る労働者が急増した1950年代には〈望郷演歌〉と呼ばれる春日八郎(1924-91)の歌などが人々の心をつかんだ。そして、1960年代には都はるみ(1948-)、水前寺清子(1945-)、北島三郎(1936-)、森進一(1947-)、1970年代前半には五木ひろし(1948-)、八代亜紀(1950-)など、今も芸能活動を続ける演歌界のビッグネームがデビューを果たしている。
ムード歌謡 1950年代には上記の望郷演歌が流行する一方で、ハワイアンやジャズを下地とした都会的なムード歌謡が、1ジャンルを形成し
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た。低音の魅力で知られるフランク永井(1932-2008)の「有楽町で逢いましょう」(1957)、松尾和子(1935-92)が〈和田弘とマヒナスターズ〉と組んだ「誰よりも君を愛す」(1959)などが代表的な作品である。映画の項で扱った石原裕次郎もムード歌謡を得意とし、ヒット曲を出している。
和製ポップス 戦後日本の歌謡界ではジャズ・ハワイアンだけでなく、マンボ・ブギウギ・シャンソン・ロカビリーなど、様々な西洋音楽の要素が受容された。そうした中で1960年代になって現れたのが、日本人によって作られた洋楽、和製ポップスである。1961年には、アメリカでもヒットした坂本九(1941-85)の「上を向いて歩こう」が発売され、双子デュオ、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」(1964)などもヒットした。この流れは、次に述べるGSブームと呼応しながら、1970年代の沢田研二(1948-)・布施明(1947-)らの活躍につながっていく。
GSブーム ビートルズの日本公演は1966年だが、このビートルズやローリング・ストーンズの影響もあって、1960年代後半、GS(グループサウンズ)ブームが巻き起こる。特にザ・タイガースとザ・テンプターズは、沢田研二・萩原健一(1950-)のスター性、エレキギターや長髪の反社会性が若者層を魅惑し、絶大な人気を誇った。
フォークブーム その反社会性により若者の支持を得たという意味ではフォークソングも同様である。マイク眞木(1944-)、小室等(1943-)、五つの赤い風船、フォーク・クルセダーズなどの活動を通じて若者に定着しつつあったフォークは、岡林信康(1946-)、高石友也(1941-)などのプロテストソング(抗議の歌)により反戦活動・学生運動と連動して若者から熱狂的な支持を受ける。だが、岡林、高石が活動を休止し、70年安保闘争が終結すると、メッセージ性の強い反体制フォークではなく、若者が私的感性を共有する叙情フォークの時代になる。吉田拓郎(1946-、「結婚しようよ(1972)」)、井上陽水(1948-、「心もよう(1973)」)、かぐや姫(「神田川(1973)」)が商業ベースに乗って大ヒットを生み出すのである。そして、この流れは
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1970年代後半のニューミュージックへと引き継がれていく。
アイドル歌謡 『日本流行歌変遷史』によれば、若者の嗜好が歌謡曲に反映するようになったのは「上を向いて歩こう」あたりからだというが、それはアイドルの登場と重なり合う。1960年代前半は青春歌謡をヒットさせた舟木一夫(1944-)らが〈御三家〉と呼ばれ、圧倒的な人気を得た時期である。続いて、1971年には〈三人娘〉と呼ばれた天地真理(1951-)・南沙織(1954-)・小柳ルミ子(1952-)がデビューして人気を集める。中でも天地真理は、アイドルの元祖として語られることが多い。さらに〈新御三家〉(西城秀樹・野口五郎・郷ひろみ)がほぼ同時期に爆発的な人気を得、山口百恵(1959-)を始め、多くのアイドルを輩出した視聴者参加型オーディション番組「スター誕生」も、1971年にスタートした。1980年代に絶頂を迎えるアイドルブームはここから始まったのである。
昭和中期は大衆文化のターゲットが急速に低年齢化した時代でもある。この節では子供の文化として、漫画・アニメ・特撮を取り上げたい。
敗戦直後は風刺漫画が多く描かれ、その一方で少年向けの漫画雑誌『漫画少年』が創刊されるが、特筆すべきは手塚治虫(1928-89)の「新宝島」(1947)である。異例のベストセラーとなった「新宝島」は戦後のストーリー漫画の原点と目される。手塚はその後もライフワークと言われた「火の鳥」(1954-、未完)、「ブラック・ジャック」(1973-83)などを発表し、〈漫画の神様〉と呼ばれた。
この時期のストーリー漫画の傑作としては、川崎のぼる(1941-)の「巨人の星」(1966-71)、ちばてつや(1939-)の「あしたのジョー」(1968-73)が挙げられる。これらはいわゆるスポ根漫画だが、社会現象とさえ言えるブームを巻き起こした。なお、2作とも梶原一騎(1936-
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87、「あしたのジョー」は高森朝雄名義)が原作を担当している。
ギャグ漫画の分野で大きな足跡を残した漫画家としては、赤塚不二夫が挙げられる。「おそ松くん」(1962-73)、「天才バカボン」(1967-78)等のヒット作に登場する〈イヤミ〉〈レレレのおじさん〉などのキャラクターは多くの人に愛され、CMなどにも使われている。その他では、永井豪の「ハレンチ学園」(1968-72)、谷岡ヤスジの「ヤスジのメッタメタガキ道講座」(1970-71)が記憶に残る。いずれも過激な表現を含み、物議を醸した。
また、4コマ漫画は1970年代後半から飛躍的に作品数を増やすことになるが、この時代も「フクちゃん」、「サザエさん」、「フジ三太郎」などが新聞で連載されている。
最初のテレビアニメは「新しい動画3つの話」(1960)とされているが、やはり後のアニメへの影響の大きさから言って、まず挙げなければならないのは「鉄腕アトム」(1963-66、原作:手塚治虫)である。少年ロボット、アトムの活躍を描いたこのアニメは、平均視聴率30%を超える大ヒットとなった。これに続いて「エイトマン」、「鉄人28号」、「W3(ワンダースリー)」、「宇宙エース」などのSFアニメが60年代には放映されている。一方、国民的アニメと言われる「サザエさん」(1969-、原作:長谷川町子)、「ドラえもん」(1973-、原作:藤子不二雄)もこの時代に初めてアニメ化された。
この時代、子供の心を捉えた番組として忘れてはならないのは、「月光仮面」(1958-59)、「ウルトラシリーズ」(1966-)、「仮面ライダーシリーズ」(1971-)だが、これらは全て特撮作品である。「ウルトラ」と「仮面ライダー」の2シリーズは、現在も継続中であり、「スーパー戦隊シリーズ」「メタルヒーローシリーズ」と並ぶ、代表的な特撮番組として今も人気が高い。
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まず、いわゆる〈純文学〉の流れをざっと示しておくと、戦後派に続く〈第三の新人〉が1950年代前半に登場、後半には石原慎太郎(1932-)、大江健三郎(1935-)などが芥川賞を受け、マスコミで大きく取り上げられる。1960年代に、有吉佐和子(1931-84)、野上弥生子(1885-1985)、倉橋由美子(1935-2005)、大庭みな子(1930-2007)ら女性作家の活躍が目立つようになり、後半にはいわゆる〈内向の世代〉が登場する。しかし、この昭和中期は、中間小説という言葉が示すとおり、純文学と大衆小説の境界がますます不分明になっていった時代でもある。以下ではこの中間小説(大衆小説)界の動向を推理小説・歴史小説・SFに分けて述べる。
推理小説 戦争中は欧米臭が強いなどの理由で沈滞を余儀なくされた推理小説界であったが、横溝正史(1902-81)の「本陣殺人事件」(1948)、高木彬光(1920-95)の「刺青殺人事件」(1948)、坂口安吾(1906-55)の「不連続殺人事件」(1947-48)などにより再び活性化した。そして、「点と線」(1957-58)を始めとする一連のヒット作により松本清張(1909-92)ブームが起こって、社会派推理小説が一世を風靡する。水上勉(1919-2004)の「飢餓海峡」(1962)、森村誠一(1933-)の「高層の死角」(1969)などがこれに含まれる。
歴史小説(時代小説) この時代の歴史小説としてまずあげられるのが、1950年から67年まで長期連載された山岡荘八(1907-78)の「徳川家康」である。この作品はそれまでの家康の負のイメージを払拭し、家康ブームを巻き起こした。また、「宮本武蔵」で知られる吉川英治(1892-1962)の「新・平家物語」(1950-57)、今も人気の高い司馬遼太郎(1923-96)の「竜馬がゆく」(1962-66)などがこの時代、多くの人々に好評をもって迎えられた。
SF SFとは、空想的な世界を科学的知識に基づいて描く文学のジャンルである。日本のSFは、同人誌『宇宙塵』、専門誌『S-Fマガジン』の創刊、日本SF大会の初開催などにより、1960年前後から本格化
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する。この『S-Fマガジン』のSFコンテストに入選した作家には小松左京(1931-)、筒井康隆(1934-)がおり、この二人と『宇宙塵』の創刊に参画した星新一(1926-97)を合わせて、〈SF御三家〉と呼ぶ。星新一は「ボッコちゃん」(1958)に代表されるショートショートの名手として、筒井康隆は繰り返し映像化されている「時をかける少女」の原作者として知られ、小松左京は「日本沈没」の映画化(1973)が大きな話題となった。この後、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」(1977)のヒットなどもあってSFは一般に浸透していくことになる。
(文責:横路明夫)
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二、次の文章を読み、空欄に適切な言葉を入れなさい。
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三、次の文章を読み、設問に答えなさい。
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